『個人的にはこれより意味のある企画はないと思っている』
前日になってしまいましたが、明日1/29は『災害支援トークイベント』マーケット終了後の路地裏ガレージマーケットで開催し ます。
イベントページはこちら→(旅商人災害支援活動報告会×広田泉&横山拓トークセッション)
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コンテンツは2つです。
①『旅商人災害支援報告会』・・・2015年鬼怒川決壊水害支援、2016年岩手東部水害支援を中心に活動報告会を行います。
②『広田泉&横山拓 トークセッション』・・・災害支援仲間の広田泉さんをお呼びし、拓とトークセッションをします。
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イベントの詳細告知書こうかな〜と思ったんですけど、もはやこれ以上ないくらい相棒・拓のブログにかなり詳細に載っているので、そちらをご覧ください◎
と、いうことで、前々からやりたかった災害支援関連のイベント開催にあたり、相棒がつい本音をポロリしちゃってます。
『個人的にはこれより意味のある企画はないと思っている』
いい町に住みたい、いい町にしたい、
自分たちの仕事であるガレージマーケットの運営の仕事を任せた拓が帰ってからは、
僕も、同じ気持ちです。
普段、僕たちがやってること。
旅商人で移動販売をしながらの旅。とか
路地裏GarageMarketや、シェアハウス・鈴谷ハウスの運営。とか
『災害が起きた時のためにやってる』となんていうと過言すぎるかもしれないけど、
とにかくこの時に繋がってると思ってやってます。
その辺の話が、明日のイベントでの本筋になってくると思います。
いい町ってなんだ、って考えると、色々あるとおもうけど、
一つは、ピンチを乗り越えれる町だと思うわけです。
自然災害、マジで最強です。人間じゃ勝てっこありません。
埼玉県も最近ちょいちょい堤防の工事してるとこも見かけるけど、
大雨が降って荒川が氾濫したら大変なことになる、と言われてもう久しいです。
地元の人と話てるとよく聞くのが『昔から危ない危ないって言われてるけど、なにもないから多分大丈夫だよ、まさかこないよ』と言います。
実際に災害が起こる、起こらない、っていう確率論争はここではなしにして、
どの被災地でも耳にする言葉、『まさかくるとは思わなかった。』
いつか来るだろう有事への意識を備えていきたいものです。
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今回の開催にあたり、旅商人(路上販売)のお客さんや、出会う人にイベントを紹介してみた。
店前にチラシを貼っていて、何気なく手に取ったりすると、イベントや自分たちのやってきたことを説明する。運良く想いが届いて、明日も来てくれる人がいるけれど、ほとんどの人の反応は同じようなものだ。
やっぱり『災害』とか『災害支援』とか『ボランティア』とか、その辺の言葉が出た瞬間、多分、脳みそから『自分には関係ない信号』とか『興味ない信号』が出ちゃうんだと思う。一番多い反応は、目線を外しながらor深くうなづきながらの『あ〜』って言う。もちろん僕の紹介や伝え方も下手くそなんでしょうが、堅苦しい言葉の魔法みたいなのを感じる。
この温度差をなくすことは結構難儀なことだけど、僕にも気持ちはわかる。
僕だってちょっと前まで、そうだった。
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当然のように僕も東日本大震災での活動を経験しているように思われるんだけど、
違う。僕がちょくちょく災害支援に関わり始めたのだって、最近の話。
東日本大震災の当時、京都に住んでいてた僕は、映像制作の会社で働いてたんだけど、職場でテレビを見ながら、大変なことが起きてると思いながらも、
いかない。いけない。
仕事に追われ、結局現地で泥を出すことはなかった。
僕が災害支援に関わるようになったきっかけは、『旅』と『仲間』だ。
震災翌年の2012年、ヒッチハイク日本一周という旅をしていた僕は
数ヶ月、他の地域にいかずなぜか東京〜北海道を3周していて、
東北を結構〜旅してた。
まだ震災の爪痕が残る沿岸部。
泣きながら当時のことを話してくれた沢山の東北の人たち。
放射能を浴びてしまったであろう福島の子供たちのための保養キャンプにも、スタッフとしても何度か参加した。
東北で沢山の友達ができた。
東北の声を聞いた。
時間差で、災害について考える機会が増えた。
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もう一つのきっかけは仲間、
相棒の旅商人拓との出会い。
商売やライフスタイル、価値観。
少なからず似てる点が多い相棒から聞く災害支援の話は、すっと入ってきた。
直接的に災害現場に参加したのは、
一昨年2015年の『鬼怒川決壊の常総市水害』。
発災時は2015年の秋、
僕の移動販売旅は岡山の路上で営業中だった。
実は近く結構大きなイベントの出店が決まりそうで、仲間たちの発信を見ながら、様子を伺っていた。
結局イベントの出店がNGになった直後、相棒から電話があった。
聞いてると、被害は予想以上で、結構長引きそう、とのこと。
なんかすごいだったけど、来てほしいなあ〜と言われた。
なぜだかわからないけど、こんなスタイルだからできるだけ仲間のヘルプには応えたいと思う。
下道で20時間くらいだったか、旅商人号を走らせて、茨城県へ行った。
合流。
今でもそうだけど、僕たち旅商人の活動スタイルは、
『泥出しなどの一般ボランティア』『サテライト(ボランティアセンター支部)の運営』『コーヒーの無料炊き出しボランティア』など、
状況次第でその時適していると思うボランティアを心がける。
僕が呼ばれた時の、チーム旅商人のボランティア内容は、
500世帯ほどある『玉地区』という地区のエリアリーダー&
サテライト(ボランティアセンター支部)の運営だった。
現場に入って、2日目の夜だったと思う。
LINEで拓から『明日から、リーダー任せれるか?』と連絡が入り、ビビって既読スルーした。
したら直接、『いける?』と言われ、わ、こりゃ〜やるしかないなと言うことで心きめた。
つまり、あまり言うと、被災された方や一般参加のボランティアさんを不安にさせると思って言わなかったのだけれど、
僕はボランティア経験ほぼ0の状態で、エリアリーダーになってしまった。
しかも大型連休中で、多い時は400人のボランティアさん受け入れ、マッチング。
発災直後で神経質になっている被災者さんのケア。不安定なサテライトの運営。
経験0でエリアリーダーなんて!!って普通思うっすよね。
けど、これだけは最初からわかってたつもりなんだけど、
被災地での活動は、『あるもの』と『いる人』でなんとか運営しなければならない。
あの状況じゃ、冷静に見ても、僕がやるしかなかったように思う。
そんな状況だった。
沢山のノウハウは、拓や、災害支援の先輩達から学んだ。
そして最初の数日間で、自分の中での落とし所というか、信じていい部分がわかった。
新しく訪れた町で、商売しながら暮らすのに必要なことは、
どれだけ街を見、感じることができるか。
歴史、地形、地域性、どれだけ馴染み、適応できるか。
旅商人での移動販売も、実はそういうことがとても大事なのであります。
つまり、この表現はもしかしたら不謹慎なのかもしれないけど、
被災地で、僕は普段旅商人しているように活動するように心がけた。
その後は僕が経験値ないながらもエリアリーダーを引き継ぐことにより、
経験のある拓が、もう一つ広い動きをすることができた。
拓は、常総市の市長、議長をはじめ、15人くらいいる自治会長さんや3人の民生委員さんを集めて顔合わせ、意見交換の場を設け、地域主導の復旧活動の一歩目をアシストしていた。
これは僕たち旅商人の話になってしまうけど、
どちらかと言うと僕はリーダータイプではないのだけど、自分がリーダーになることで拓がさらに効果的な動きができるようになるなら、今後もこの形はありだな〜、と思った。
特殊技術の扱えるボランティアさん(NPO法人等)
や、車両を手配できるボランティアさん(建設会社等)
など、被災地に蠢く『助けて』の声と、色々な種類の『助けたい』の声を
いかに上手く繋げるかが、僕達のやっているボランティアの内容だったように思う。
これが僕の最初の災害支援でした。
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1度目の災害支援を終えてから、とても考えることが増えた。
それからは拠点の埼玉を見る目も、旅先の新しい街を見る目も、かなり変わっていったように思う。
ここで災害が起きたら、ここが被害大きそうだなとか、あそこにサテライト作って、とか、あの人がキーパーソンかな〜とか、この地域は土着性高そうだなあ、とか。
岩手の災害支援時には、少しずつ自分たちの仲間周りで災害への意識が変わっていくのを感じた。
ガレージマーケット中に、募金活動。SNS等での情報の拡散。
また、鈴谷ハウスの住人でもある映像作家のアキラは、災害支援のドキュメンタリーを製作している。
路地裏ガレージスタッフの葉月(左)とともに、現地でも一緒に活動した。
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『私なんかがボランティアで被災地に行っても、力になれなさそうなんですよね。』
って言われる。特に女性に言われる。
もちろん、泥を出したり、家財を運んだり、力仕事は多い。
けど、床下の泥出しなんかは、小柄な女性の方が向いている場合があるし、
本当に被災された町のために何か力になりたいと思えば、いくらでもある。
ちょっと話変わるけど、岩手でわ〜女性のボランティア欲しいな〜と思った瞬間がある。例えばこれ。
実は岩手水害支援の2クール目。岩手県でのボランティアの2クール目は、僕1人で向かった。
盛岡市の街中で、路上販売しながらボランティア募集をしようと思って看板を作ってた。(結局色々あって路上販売自体ができなかったけど)
これは、真っ暗な盛岡市のローソンで1人作ったんだけど、どうにも出来栄えが悪い。。。こんな時、イラストやデザイン、の上手な器用な女の子とかいればなあ、、、と。心の底から思った。
や、これもれっきとしたボランティアですよマジで。
また、僕がコーヒーの無料炊き出ししている投稿を見て、ツイッターでこんな連絡もきた。
ハンドマッサージをしている女の子らしく岩手県のどこかの地区で活動していたみたいです。
結局まだ直接会ったことはないのだけれど、次どこかであったら、炊き出し&サロンで一緒に活動しようと言う約束もした。
もし本当に現地に行っても何もできないと思う人は、長期で入れるならサテライト(ボランティアセンター支部)の事務作業もあるし、それは本当に被災者さんにとって助かること。
もちろん受け入れる側のやり方もあると思うけど、本当に街のために力になりたいと思って考えれば、絶対になにか力になれることがある。
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すみません、前日告知ということで、1人でも届いたらいいなと思って勢いで読みづらい文章書いてしまいました。反省。
災害支援とか、防災とか、ボランティアとか、その辺に全然ピンとこない人でも
『どーせ自分が住んでる町だったらいい町がいいなあ』
漠然とでも感じてる人がいれば、ぜひ参加してもらえたら、と思います。
明日は僕はサブ的にちょこちょこお話するくらいだと思いますが、
拓や泉さんの話の根っこも、同じメッセージだと思ってます。
一応もったいぶって出し惜しみしてますが、
とてもシンプルな話です。もし気になる人は、直接聞いてください。
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